知らないこと


「知らないことがある」という言葉で、あなたは何を連想しますか?すぐに思い浮かぶ事柄が一定しないので、いろんな捉え方で違う反応があります。そしてそれは思う以上に無意識を反映する言葉でもあります。興味深いですね。

知らないことに出会っても、今はネットで調べられるので、すぐに答えを得られて凄い時代ですよね。間違った情報もあるので要注意ですが、ネット以前の頃の私は、幾つもの本屋さんで関連本を探す、その関連本の後ろに書いてある本の紹介のようなところを見て次に必要な本を探す。その手の詳しい人を探す。探して会えるなんてなかなかないから・・・出会うまで保留。そうなると答えを知るまでに何年も待つことになります(笑)知りたかったことが何であるか、忘れてしまうことも多々あったわ(これ、不意に思い出すから又不思議)冗談みたいですけど、何年がかりで知りことができたものもたくさんありました。なんて気長な時代だったのかしら。それでもその分感動は大きいのよ!!なんて言っても、早く知れるならそれが良いに決まっている。

「知らないことがある」これは状況によって、人をひどく不安にさせるものですよね。リーダーになる人や、知っていることを大前提としている場合などなど。最初はみんな知らないところからスタートしているのに。私もあなたも知っていることも知らないこともたくさんあって、だからこそ助け合えるし、いつでもあなたの話が聞きたい。

「無知の知」私は私が無知であると言うことを知っている〜ホントいい言葉だわ。知らないという言葉を言いにくい場面もあるだろう。それでも勇気を出して「知らないです。教えてください。」そう堂々と言える人で私はありたい。誠実であるとか真摯に相手と向き合うことを大切にしたいの。そして‘知らない’っていう言葉も言いやすい社会にしていこう。あなたと私と。

ちなみに私は、虫の生態についてとても興味があって、虫に話をするのが大好きなの。詳しい人とたくさん語り合いたいわ〜。

幸せになろう


「幸せになろうよ〜」・・・このままの歌詞で歌が歌えるのだけど、その前後のメロディは出てこないし、誰の何の歌か分からない。女性の声のような気がするんだけれど?!さて誰の何の歌?

幸せについて、話し方教室で度々語られます。その話は感動することばかりなのよ。みーんな違っていて趣きがあります。「幸せ」って個々に違うんだなぁって実感します。だから世間で言うところの「幸せ」を追うのに、時間とエネルギーをかけることは勿体無いこと。それが一致する確率って高くはないでしょう〜

さて、あなたの幸せなときってどんなときですか?「幸せ」を求めても、実際は形がないものだから、〇〇をしているとき〜って具体的に聞かせてくださいね。幸せって、とっても抽象的な言葉です。

だから「私は今、幸せなのだろうか・・・」な〜んて誰かと比べたら大変なことです。私には、あれはないし、これもない・・・なんて、なったりして。幸せは比べるものではなく、競うものでもなく、感じるものだわ‼︎

そして「幸せになろう」という言葉の響きも良いものだけど、私は、既に今ある「幸せ」の話も合わせて聞きたいな。

あるがまま、か。ないがままか。今日も話し方教室で、みんなの話を聞いて幸せな気持ちになりました。未来は明るいと無性に勇気が湧いてきます。
あなたの幸せの話、聞かせてくださいね( ´∀`)

毎日の出来事


猛暑の中、高校球児のプレーが輝いていますね。いかがお過ごしですか。私といえば、暑さでつい庭木のお手入れが滞っています。毎日少しずつ、コツコツがモットーなのですが、この季節は追いつかないわ。

さて、毎日私達にはさまざまな出来事がありますね。それらについて、どう感じるのか。例えば、こうして書いていることを私は「あら、なんだか恥ずかしいわ・・・」と思っています。きゃっ(๑>◡<๑)
感じることは、自分へのメッセージです。それをどう捉えるのか。自分を知る良い機会ですね。時には、どうしてそんな気持ちになるのかなぁって考えるの。

特に腹が立つこと、理不尽なことが起きたときは、不平不満や愚痴、悪口、文句、泣いて押し黙ってしまう・・・と、なるのか、ならないのか。ちなみに、そうならないのが「良い」という訳でもないですよね。なることが必要な時もあります。

人格者になろう〜という話でもないですよ(いや、なっても良いのですが)どう感じるのか、自己分析できると価値観を広げられる貴重な場面になる〜ということです。

課題を1つずつ超えていくと、生きやすくなる気が私はしています。だからその課題に気づかないのは勿体無いこと。大いに向き合いたいと思います。

あなたは、今日どんなことがあって、どんな気持ちでいますか。
あなたのお話を聞かせてくださいね。

リスペクトトレーニング


最近企業でも取り入れられている「リスペクトトレーニング」
リスペクトは普段の会話の中にも出てくるワードですね。歌にも出てきます。♪「ええかげんそうな俺でも、しょーもない裏切りとかは嫌いねん。尊敬し合える相手と共に成長したいねん」メロディが出てきましたか?はい、同世代(笑)←昨日に続き、またこのくだりとは‼︎

目の前の人に、周りの人に、対してどれだけリスペクトをできるか。これには案外トレーニングが必要なんです。周りの人を認めて、敬意を払うことができると自然とコミュニケーションは楽になっていくことは想像できますよね。

でも‘根性’で「リスペクトするぞ〜」と思っても、なかなかできるようになりません。だからトレーニングが必要になってくるのです。

目の前の相手は自分に対して敬意を払ってくれているか否か。人は本能で気づきます。それは0•3秒なのだとか。

ちなみに最初に書いた歌詞の歌は「ライフタイムリスペクト」です。三木道三の歌ですね。今、歌詞を検索して見ましたら歌詞にリスペクト、の文字は出ないのですね。知らなかった〜。

もう一つ、英語で言うリスペクトは、「すごいなぁ」と称賛したり、仰ぎ見たりすことではありません。価値を認め、敬意を払うことです。たとえ意見が違っていたとしても、あぁこんな人になりたい〜と思わないとしても、その人の存在を素晴らしく思うこと。本来誰に対しても思いたいことです。人に対してどれだけ尊敬の念を抱けるか、その力を日々どう培っていくか、がリスペクトトレーニングをしていることと言えると思います。

さて、あなたはリスペクトトレーニングについて、どう思いますか?そしてどこの部分があなたの課題になりそうですか?あなたのお話を聞かせてくださいね。

僕が僕である為に


僕が僕である為に・・・の続き。あなたはなんの言葉を入れますか?

この言葉を聞いて、あるメロディが耳に響いてきたなら〜私と同世代ですね(笑)そう、尾崎豊さんの歌です。ちなみにこの続きの歌詞は、「勝ち続けなければならない」です。お、おぉ・・・。なんて強い言葉かしら。時代を感じる?どう思われますか?

今の私なら・・・私が私である為に、「微笑んでいよう〜」かしら。優しくあろうとか、成長しようとか、立派な言葉は少し横に置いておいて、微笑んで自然体でいよう。そして何かを感じて、それから動けるように。木漏れ日のような佇まいで。あれ?これもカッコつけ過ぎ?

とはいえ、この曲を聴いていた当時は、聴くたびに強い強い気持ちを抱きしめて、自分を鼓舞していたのよね。高校生の頃とか、今とは精神状態も違うし、比べられはしないけど(エリクソンのいうそれぞれの段階がありますから)もしあの頃の私が、今のような穏やかな気持ちがあれば、どんな未来があったのかなぁ。

さて、あなたはどんな言葉を入れますか?

置かれた場所で咲きなさい


お元気ですか?もう明日からは8月です。

タイトルの「置かれた場所で咲きなさい」これは10年前ベストセラーとなった本です。そして若い頃 私が大切にしていた言葉でした。

将来を考えていた頃の私には、身体の不自由な母がいました。母を置いていく選択ができず(置いていく・・・とは、なんてひどい言葉かしら)まぁ、悩んだ末に地元に残ったわけです。それでも自分なりに頑張って、私なりにうまく行って、仕事も友人も家庭も想像していた以上の日々がきたのです。あぁ、あの言葉は本当だったなぁと何度思ったことでしょう。

作者である渡辺和子さんは、「咲きなさい」という命令形での言葉でなく優しく語りかけるように話されていたそうで、本を読んでも人間性に惹かれます。命令形にしたのは、出版社の担当が人の目に留まりやすいよう、敢えて命令形にしたそうです(なるほど‼︎)

しかし言葉というのは、色々な捉え方ができます。万人に向けての良い言葉は、ないものですね。何故かというと今、いわゆるブラック企業のような仕事場にいる方とかDVで苦しんでいる人には、この言葉は酷な響きを持ってきます。
もっと自由でいいのです。誰にとっても、必要のない我慢とか辛抱は要らないし、逃げることも必要。自分の花を咲かす場所は自分で見つけるの。人生は1回きりだもの、我慢している時間はないですよね。

我慢が素晴らしいとか、自己犠牲や苦労が素晴らしいとか無意識に思うなら、一度思考のブラッシュアップが必要です(私も同じ)

そして「咲く」という言葉もイメージが華々し過ぎていて、苦しく思われる人もいます。歌にもある通り、まさに「自分の花」でいいのだけれど・・・。もっと言えば、別に「咲かなければいけない」わけでないので、そこでまた苦しい思いをすることもない・・・。

こうして考えていくと・・・どんどん広がっていきます。
次の教室の話題にしようかしら。
話し方教室では、答えのないことをテーマにして、みんなで話したりします。
あなたは今までにどんな経験をして、どんなことを学び、今に活かしていますか。お話しくださいね。

明日から8月。体調管理をして元気に過ごしましましょうね☆

自己肯定感の話


自己肯定感について、よく話題になります。あなたは高い方ですか?それとも高くない方ですか?

周りから見たら高そうに見える方が、高くない・・・どころか「私は低いんです」と言われることが多々あります。これは自己評価で語られるものですから、明確な基準はないんです。だから人が感じるものと、本人の意識が違うことはよくあるわけです。

自己評価ゆえに曖昧な感覚なんですね。でも低いことを気にし過ぎて、弊害もある話も多く紹介されるようになりました。元々漠然としているものを高めよう〜とか、そりゃ、難しいことだわ。

ただ自己肯定感が低いと苦しい感覚があり、低い人は「高くなりたい」とよく言われます。私は自分を知る1つのツールとか、考え方の1つとみるぐらいでいいのかもしれないと思う。それより具体的に何に対して感じるか、いつ感じるか、そこにヒントがある。

例え話でよく言うのが「自信なさげな赤ちゃんは見ない」話です。まぁ、いろんな赤ちゃんが本当はいるんでしょうが笑。でも赤ちゃんって、やりたいことにどんどんチャレンジしていきますよね。みんな最初は自己肯定感、高かったんです!

となると、今までの人生の中で、上手くいかなかったことや傷付いたことなど、ネガティブなことを経験して失くしていったもの、と言えますよね。どんなことでもすぐに「できる」ことなんてないし、人と比べるものでもないのに。

自己肯定感って高めると言うより、失くしたものを取り戻す感じでいいんじゃないかしら。元々の本来の自分にあったくらいまで。バリバリ高くなくて良いのです。

それに低いことが悪い、とばかりはいえません。低いことを力にかえて奮闘することもできますから。それよりも気になるのは、自分に対して、自分で傷つける言葉を投げかけること。未来へ向かう力だって削がれてしまいそう。

あなたはどう思いますか。あなたがもし「低い」と感じているなら、どこに肯定感を置いてきてしまいましたか。みんなで話してみませんか。

ホームページ復活


お久しぶりです。パソコンを替えて更新できるようになりました。
また宜しくお願いしますね。

さて、最近の教室の話題に「表情」があります。最近はマスクをしているので表情に気を配らなくなりがちです。そういう私も・・・きっと同じだろうなぁ。

言葉は表情がないとうまく伝わりません。更に言うと、表情と言葉が一致しないときは表情の意味合いの方が優先的に伝わってしまいます。言葉はなんとでも言えますから、本音が現れやすい表情の方を人は読んでしますのです。

ここまでは、随分前から語られていたことですね。最近の報告としては、その表情は自分が思う以上に、伝えたい内容と合っていないということ。謝っていたつもりでも映像を確認するとそんな風に見えないとか、自分では見たこともない表情だった・・・とか。他にも色々あり笑えるエピソードのいっぱいです。

しっかりと表情筋を鍛えて、きちんと自分の思いを伝える手段の一つにしたいですね。ん?マスクしているからまだ、関係ないですって?いえいえ、鍛錬は今からでも必要ですし、何より見えなくても笑顔でいることは大切です。笑顔でいるからこそ、楽しい気分への準備が整います。笑うから楽しくなる、泣くから悲しくなるって言いますよね。それに笑顔で話しているのか、そうでないのか、想像以上に伝わっているものです。

さぁ、爽やかな笑顔を讃えて、マスク越しではありますが、お話をしませんか?
あなたの近況を教えてくださいね(๑>◡<๑)

苦手な人、さらに・・・。


苦手な人について続けて書いています。
苦手な人が苦手でなくなったら気持ちよく毎日が送れる・・・というのは間違いないのですが、だからといって無理してうまくいくようにふるまう必要は勿論ないと思います。

苦手な人、嫌いな人であっても、人としてリスペクトし、大切にする振る舞いは必要ですが、それは相手が、誰であっても行いたいところ。それをするのも個々のコミュニケーションのチカラが必要ですが(このチカラも鍛えることができるんですよ!!)苦手な人を必要以上に気にすることはないと思っています。

そう、「好き」になる必要はないのです。
相手も私のことを、苦手だ、嫌いだと思ってもいいわけだし。

カール・ロジャースの法則を聞いたことがあるかと思います。

「10人の人がいたら
2人は気の合う人
7人はどちらでもない人
1人は気が合わない人」というもの。

数字は、ざっくりと見たら良いでしょうが、こんな感じだということですよね。例え、素晴らしく良い人格の持ち主がいたとしても、そんな素晴らしい人を意味なく嫌う人もいるってこともあるの、か?・・・でもそういうことですよね。

みんなに好かれようと思わないことが大事。そんなことにエネルギーを使うのはしんどいわ。
それよりも苦手な人、嫌いな人を、基本的な振る舞いとして、どう大切にできるか。ここを突き詰めていくと、またあなたと深い話をすることが必要になりますね。

あなたのご意見を聞かせてくださいね。
あちこちで豪雨の心配があります。どうぞ、みんなで気を付けてすごしましょう。

 

苦手な人、続き


昨日苦手な人の話について書きました。

さらに突っ込んで、話をさせてくださいね。
人は、特定の人を「苦手な人だ・嫌な人だ」と、そんな風に認識すると、その人の更なる苦手なところ、嫌な(不快な)ところを探そうと、無意識のうちに、ココロは動き始めるんですって。ますますその人を苦手に・嫌に、なるわけです。

好きではないのに、実はとっても気にして見ている・・・というのでしょうか。好きも嫌いも、相手を眼中にバッチリおさめているんです。まさか、と思いますが、これこそ「レッテル貼り」の心理から起こることなんだそうです。レッテルを貼ると、そのレッテルが正しいという事実を人は集め始めるのです。

人の心理は不思議がいっぱい。偏った見方をしがちなのだと念頭において、ものごとを見ていきたいなぁと私は思います。

苦手な人の良い所や素晴らしいところを見つけられると苦手でなくなるかも。苦手な人が、いなくなっていくって幸せなことだわ。

あなたはどう思いますか。
色んなシチュエーションがあるので違う話も聞かせてくださいね。