明るく楽しい一日を過ごすために


思い浮かぶ、誰か・・・のような明るさでなく(比較しての明るさでなく)自分なりの心地よい「明るさ」を大切にすることって、とっても大事。自分で自分を、ちょっとだけわくわくさせてみよう!!

よく言われているけれど・・・ほんとに言霊ってある。いわゆる言霊信仰だが、スピチュアルな話でなく最近、脳科学の観点からも言葉には不思議な力があると実証されています。大事にしてみるに限る。口から出すなら、やっぱり少し明るめの言葉がいいね。

さて、さらに明るい気分ですごす為に、ちょっとお気に入りのお茶やコーヒー、ハーブティを淹れてみるとか、いかがですか。視線の触れる先に、ちょっと気分の上がる小物やお花や絵とか。選択できることはたくさんあるね。

ん?選択?また選択の話になっているなぁ。

明るい気持ちになれる言葉に触れるのもいいね。そう、あなたはあなたのままで幸せになれますね。

どこか、なにか、気持ちがひっかかりますか?ひっかかりに気が付いたなら、ココロの整理の選択もいいかもしれません。

断捨離?ココロの洗浄?すっきりと自分に向き合えるように・・・。あなたの話を聞かせてくださいね☆彡

 

大きな努力よりも小さな習慣


子どもが小さかった頃、折に触れ、「小さな一歩(選択)でも踏み出せば、一歩前の景色とは見えるものが違う!!その景色を見て、また、どう一歩を踏み出すか考えることができる。それはあなたの大きな力になる」と話していた。今、書いてみて・・・小学生の子どもが、理解したのであろうかと疑問笑。まぁ、なんども言って、身振り手振りでも話したし、なんとなくの雰囲気で理解はしてくれたのだろう・・・。

本当に小さな小さな選択の話。実行するのに、大したエネルギーがいらないような小さな選択。そして、より良い選択を気持ちよく出来たら、それは、あっという間に習慣にもなる。さて、あなたは、どんな類のものを選びますか?それはきっと、自分の本当に生きたい道へと続くものですね。

ココロの声に耳を澄ませてみてね。あなたはどんな生き方がしたいですか?自分をどう活かす、どんな生き方がしたいですか。

答えがすぐに出ることも、でないこともある。大丈夫。ココロの奥にはちゃんとある・・・その気になれば、見つかるよ。そう自然と湧き上がってくる。

38億年の歴史を背負って、今、ある私達の命。当たり前だけど、どこかで命が、一旦消えたり、一休みしたりしていない(知ってた?私、初めて気が付いたとき、すっごくびっくりしたよ)!!

きっと、手の中に大事なお手紙を握って生まれてきたよ。なにが書いてあるのか、楽しみだね。さぁ、これまでの話、これからの話を話し方教室でしませんか。

何を選択するか


私達は常に様々な選択をしながら生きています。それは、実感しようとも、せざるとも、選択しているのです。え~、そんな選ぶ余地はなかったよ・・・と、いう場合においてもです。

最近、価値観について考えさせられることがありました。自分の価値観を大事にして、友達の価値観も大事にして、認め合う。それが理想。ほぼ似たようなものであれば、なんの問題もないのですが、かなり方向の違う価値観で、そのままそれぞれが大事にしたまま行動すると、なんだかおかしな状況になるような場合。すり合わせが、なかなか・・・難しい。私とお友達は、いっぱい話して、わだかまりがないように、この先への選択をした。感動だ。でも、これから違う何かが、見えてきて、また話し合わなきゃいきなくなるのかなぁ。う~ん。でも良き仲間だから、きっと、不具合が起きても、また一緒に考えられる。乗り越えていける。そうだ、楽しみだ。

これまでの選択が今の人生の地点へと運び、これからも良いところへと向かうのです。信じよう。

あなたは普段、何を大事にして、何を選んで生きていますか。

頑張って頑張って・・・


自分の人生を頑張って、頑張って、必死に自分を励まして、頑張って。どうして私は、頑張れないのかと自分を責めたり、嫌気がさしてうんざりしたり。どう言い聞かせても、頑張れないときがきたら・・・それは、きっと、もう十分、頑張ったんだと思う。

少し休んで、一息ついたら。

頑張り方を変えてみよう。

見方を変えたり、肩の荷を下ろして楽に進めてみたり。

方法は、ある。一緒に今日までを整理してみませんか。

愛されたければ、まず愛しなさい・・・かぁ


色んな言葉が、色んなことを教えてくれる。今日朗読した言葉の中の一説です。・・・なるほどね。確かにそうかもしれないかぁ。あなたはどう思いますか?

人は自分を愛してくれる人を愛するという大原則をココロに留めておこう・・・とも続く。う~~~んんん。

人に愛を与える余裕。人を幸せにする余裕。そして自分を愛して幸せにする余裕。うん、うん、確かにね。それはいいね。

何が言いたいかって?

私は、誰もがいつだって、愛の中で生きていると思っている。それを感じれるか、感じられないか、そこにかかっていると思う。そう、愛は既にあるもの。もう既に愛されている。

今、人生の中で苦しくて、嵐のような時を過ごしている人もいるかもしれない。愛は目の前にあるのに、顔が上げられないから、見ることができない。涙がこぼれて、悔しくて、情けなくて、こんなはずじゃないのにってつぶやいたって変わらなくて。

どうか、早く嵐がすぎて、愛の存在に気付けますように。ともに愛を語り合える人になりますように。本当は、手を伸ばせば届くところにちゃんとあるのだから。

「愛は学ぶもの」・・・エーリッヒフロム
学ぶのは、独学でもいいけれど、仲間がいたらね、早くたくさん知ることができる。既に愛に包まれて生きているよ。

語り合いませんか。愛の話・・・なんていうと、急には難しいですか。それなら、今日の笑った話。過去に笑った話。忘れてしまった記憶のことも、私は引き出しますから。泣いて笑って怒って・・・。明日を見つけていきましょう。

 

祈りを唱えるだけでなく、祈る人になりなさい


マザーテレサの言葉です。深い意味だなぁとココロに刺さるのです。いろんな言葉を口から発する毎日ですが、まずは、私が一番の実行者でいたいものだと思うのです。

それが大事なことです。

世の中には情報が溢れていますね。迷ったり苦しくなることはありませんか。

好きな言葉


たくさんの好きな言葉があります。
紹介させてくださいね。

マザーテレサの言葉から・・・
世界平和のために私たちは何をしたらいいのかと、聞かれて・・・「すぐに国に帰りなさい。すぐに家に帰って家族を大切にしてください」

改めて、調べてからここに書きました。ん?「家族」を大切にと言っていたのですね。私は、「家族」のところを、お友達や仕事の仲間、お隣さんや、出かけた先で出会う人、そう巡り合うすべての人のことだと思っていました。

世界平和のために動きたいなら何も、特別なところへ行くのではなく、あなたの周りから!!そういう意味だと思っていたのです。そして、やっぱり、きっと、そういう意味ですよね?

お友達と今日、海岸でのごみ拾い散歩をしました。気ままな散歩の延長です。そのことをブログに書こうとしていたんだというと、、ん?なんだったかな?「いい人ぶっているようで気になる・・・」そんな感じのことを言っていました。

確かに・・・そうとも言える・・・。か?分からない。人に迷惑ならば別だけど、悪く思われるぐらいどってことない。

それよりも、気ままな散歩~延長ごみ拾いって、遊びながら清掃できて、最高だもん。同じように思う人が増えるといいなと思う。気まま・・・な、ですからね。「猛烈に清掃をしていない」と注意をしないでくださいね笑 どんなやり方でもOK!!

今日は、海がとってもきれいで、波はきらきら輝いていました。
あなたの元にも、爽やかな潮風が届くといいな。

もう一つ。「面白きこともなき世を面白く」読んでくださってありがとうございます。

未見の我


先日の話し方教室の中で「ジョハリの窓」の話がでました。
「自分が知っていて、みんなも知っている、窓」「自分は知っているけれど、みんなは見えない、窓」「自分では気づいていないけれど、みんなには見えている、窓」「自分もみんなも見えていない、窓」4つの窓の話です。

みんなが知っている自分の事については、耳を傾け、受け入れる。さらに自分のココロを開いてオープンにし、自己開示することで、自分についての理解が深まるり、だれも見たことのない最後の窓、4つ目の窓が開かれていく。ここには隠された才能や能力があり、開かれることで素敵な自分の人生がスタートする・・・という話。

日本にも「未見の我」という言葉があります。私たちは、自分のことを全部知っているわけじゃないのですよね。何が起きると「未見の我」に会えるのかしら。

人生を変えてしまうほど、影響力のある出来事か、人との出会いか。もしくは大きな失敗や挫折なのかもしれない。大きなできごととも限らず、日々の小さな気付きの中で、少しずつ現れるのかもしれない。いや、現れるのでなくて、良いことも、一見、悪いと見えることも全部、大事に味わって、必死に作り出した「新しい自分」であるような気がしてきた。未だ見ぬ我。楽しみにしておこう。

あなたの未来には、どんな自分が待っているのかしら。楽しみにしていましょうね。

酸っぱいブドウ


イソップ童話の中に「酸っぱいブドウ」の話があります。
ご存じの方も多いと思います。あるときキツネは美味しそうに実っているブドウを見つけました。そこでブドウを取ろうと懸命にジャンプします。しかしブドウは、とても高いところに実っていて、頑張っても頑張っても手が届きません。結局キツネはブドウを取ることを諦めます。そしてキツネは、悔し紛れにこうつぶやくのです「あれは、きっと酸っぱいブドウにちがいない!!」

この話を初めて聞いたとき、ドキンとしました。

私もそんな風に、自分の都合の良いように解釈していないかしら・・・。ありそう・・・大丈夫か?・・それが悪い!!と声高に言うのではないよ。そんなときがあってもいい。でもいつもいつもそういうパターンに陥るのは、残念だ。

私って楽天的だから・・・朝寝坊したら、「あぁ、良く寝られたわ。きっと疲れが取れたろうなぁ」とか、道を間違えたら「きっと、ほんとの道を行けば何かあったんだわ」とか。どってことない事柄ならば良いけれど、その延長で、見逃してしまう大切なことが含まれていないだろうか。

笑って語り合った友人との話も、本当にその笑い合う感じで良かったのか。仕事だって、そうだ。来てくださった方の大切な兆候や、希望を拾い上げているだろうか。手の中からこぼしていないか。

酸っぱいブドウの話は、昨日の話し方教室の中で出たものだけど、時々、自分に振り返りたい事柄。

あなたは、どうですか?

車の運転について言われると


子どもの頃に不思議だったことがある。
父は、車の運転について、母に何かちょっとでも言われると、激しく怒ったものだ。

運転という行為は、命がかかっていることだから、緊張感を強いられ、人は怒りやすい状況にある。

しかし同乗者に(母だが)「向こうから車がくるよ」とか「あっちに人がいるよ」など、ちょっとでも言われたなら、もう・・・大変な怒りようだった。

あなたは、経験ありますか?怒られた経験、そして怒った経験。

子どもの頃、なぜいつも激しく父親が怒るのか、不思議でたまらなかった。

今のところの私の答え。運転している人が、「一人で」「完璧」に運転しなければいけないと思っていたから。もしくは「完璧に運転している!」と思っていたから。何か言われることは、ちゃんとしているのに‟見ていない”、‟気が付いていない”のレッテルを張られた気がして、腹が立つのだろう。

父の怒鳴り声が、今も耳に響くわ。

運転は、街の中を走るわけだから責任ある行為で、一人でも、だれかといても、関係なく十分に注意をしなければならない。でも誰か同乗者がいて、一緒に周りに気を配り、安全運転に協力してくれるなら、それは本当は良いことで、ココロ強いものなはずだ。一人より二人!!

なにか言われると、責められているような気がしてたのだろうけど、いらいらして運転すれば一層、危険だよね。

「うん、人がいるね!!ありがとう~」「あの車、ほんとに出てきそうだね。ありがとう~」そう言えば、車内は温かい雰囲気に包まれる。

お友達と車に乗っていて、私が「ありがとう~」って言ったらびっくりしていた。お友達の家もやっぱり喧嘩になるらしい。

よく考えたら、おかしなことで怒っているけど、普段は、よく考えないで過ごすからね。分からない。だけど、それは勿体ない、勿体ない。

こういうコミュニケーションって、連鎖する。
そろそろ少しずつ変わっていこう。

他愛もない車の中の話である。今日も空が青い。