酸っぱいブドウ


イソップ童話の中に「酸っぱいブドウ」の話があります。
ご存じの方も多いと思います。あるときキツネは美味しそうに実っているブドウを見つけました。そこでブドウを取ろうと懸命にジャンプします。しかしブドウは、とても高いところに実っていて、頑張っても頑張っても手が届きません。結局キツネはブドウを取ることを諦めます。そしてキツネは、悔し紛れにこうつぶやくのです「あれは、きっと酸っぱいブドウにちがいない!!」

この話を初めて聞いたとき、ドキンとしました。

私もそんな風に、自分の都合の良いように解釈していないかしら・・・。ありそう・・・大丈夫か?・・それが悪い!!と声高に言うのではないよ。そんなときがあってもいい。でもいつもいつもそういうパターンに陥るのは、残念だ。

私って楽天的だから・・・朝寝坊したら、「あぁ、良く寝られたわ。きっと疲れが取れたろうなぁ」とか、道を間違えたら「きっと、ほんとの道を行けば何かあったんだわ」とか。どってことない事柄ならば良いけれど、その延長で、見逃してしまう大切なことが含まれていないだろうか。

笑って語り合った友人との話も、本当にその笑い合う感じで良かったのか。仕事だって、そうだ。来てくださった方の大切な兆候や、希望を拾い上げているだろうか。手の中からこぼしていないか。

酸っぱいブドウの話は、昨日の話し方教室の中で出たものだけど、時々、自分に振り返りたい事柄。

あなたは、どうですか?