色メガネ


なくて七癖。ないようである思い込み。
思い込んでいるときは、そのことが思い込みだなんて、当然自覚は持てません。さらに、人には自分の信じている思い込みについて、それが正しいのだという情報ばかりが耳に入るんですって。タバコがやめられない人は、たばこの害よりも「やめようとしたときのストレスの方が身体に悪い」な~んていう情報の方が強くインプットされたり、拒食症の人はどんなに痩せても、自分の痩せた身体は見えないし、周囲の声は耳に入らない。思い込みにそっている情報ばかりが認識されるのです。

私の父は、外の出ることが嫌いで家にいることが多い人でした。それならそれでいいと思うのですが、何か自分の中で考えることがあったのでしょう。家に居たまま、夕方のニュースを見ると、事故のニュースに敏感の反応。「ほら、外に出るとこんなことがあるんだ。出るものじゃない」といつも私に力説していました。とても身近な例えでした笑

思い込み・・・それはちょうど色メガネをかけている状態。では、どんな時に色メガネの存在を知るのだと思いますか。

それは、何気なく人と話しているとき。「え?そうなの?」と驚く、そのときです!!それまでの見方や考え方、やり方、その他いろいろな価値観の違い、思い込みに気付き、色メガネをしていたことを知るのです。

私もお友達と話していて、自分の思い込みに気付くことがたくさんあります。相手の話から、また私の話に対してのお友達の反応からも知るのです。目からうろこが落ちる瞬間も数々。TVを見ていて、タレントさんや偉人の考え方に驚くときもそうですよね。ただTVの影響よりも実物の経験の方が人を変える力があるようです。

柔軟な考えは、多くの選択肢を準備できること繋がり、その中でベストの選択ができるようになりますよね。たくさんの選択肢を準備するために、本を読み、人の話を聞き、考えるのかもしれません。

今日より明日。私たちも更新された自分でいたいですね。
話し方教室でお待ちしています。

努力し続けられるということ


あなたは努力していることありますか?努力・・・というと「好き好きでついついしてしまう」ことではないですよね。

最近つくづく思います。好きでたまらなく勉強していることなら、いざ知らず、頑張りたい、の一心でしている勉強は、この歳では、なかなか頭に入らない。私の場合、それは英語の勉強。以前ならとっくに諦めているのではないかと思う学習の進みようです。頭に入らないからか、集中力が保てない。すぐに他の事が気になって、机を離れて動き出してしまう。もしくは、すぐに眠くなる…笑

でもここで諦めたら、もう本当に終わり・・・何度、ココロや場所が他に移ったとしても戻って、本を開く。どんどん進歩していくことならば、きっと楽しく勉強できる。でも、そうでないときにこそ、粘り強く、小さな期待のみで良いのだと自分に言い聞かせ、ただただ少しずつ勉強する。やる気は前進している実感するときに上がり、停滞している感覚に襲われるときに著しく下がるという特徴があるんです。辛抱のしどきってあるわけです。「困難は分割せよ」という言葉がありますが、「成果への期待も分割せよ」ですね…。

努力できること、諦めないでいられること。それは長所だと言えるわ。努力で身につけた自分への信頼って、ものすごい力になる。

なんてね、実際の私の英語を聞けば、全然かっこよくないのです笑 。明日の新郎さまはニュージーランドの方で、私の英語の出番もある予定です。うぅ、成果が出ればよいのですが。

大人の勉強って、若いころのようにはできないけれど、望みが高いばかりではダメ。地道にこつこつ。そこに大きな価値があります。さぁ、一緒に始めましょ。なにをするか、またお話、聞かせてくださいね。

本当の私


昨日のブログ~つぶやきのなかで、‟沸き起こる自分の感情が大事”と書きました。たくさんの人と話して、本当の自分・現実の自分を見つめることで初めて、進むべき道がみえてくるのではないかなって思うのです。

現実に目をむけるから、手の届くところの「理想の自分」がわかる。なりたい自分になる近道は、実はここにあるのです。一歩先に進めば、見える景色が少し変わる。もう一歩もう一歩と進めば、どんどん景色が変わって、やがて夢だった景色に包まれる。

理想と現実に差があって、今やるべきことを見失ってしまうのは勿体ない。人生は有限だから!!

あなたは、どんな「私」になりたいですか?

喜怒哀楽はココロのメッセージ


あなたは、何に喜び、何に悲しみ、何に腹を立てますか。
「いつまでも変わらないですねぇ」そんな言葉にウキウキ、嬉しかったら‟容姿は変わりたくない”、もしくは‟若い”と思われたいって思っていたのかもしれません。勿論それだけとは言えないですが。・・・これは私の話。そんな風に思っているなんて思いもしなかったので、とても驚いたことがあります。

容姿でいいますと「顔が小さい」は日本では良いことと思われることが多いですが、世界でいうとそうでもなくて、小さい方がいいと思っていない、もしくは容姿についてのコメントを嬉しくない・・・など思っている人が、小さいことを言われたなら、それは当然嬉しくないわけです。・・・私は言われることはないですが、もし言われたら、え?どうしたのかな??と思うことでしょうね笑

怒りについての感情について、よく取り上げられていますが、喜怒哀楽のすべてが、ココロの奥深くからのメッセージだと私はとても思います。

怒りについては分かりやすいですよね。心理学者のアーロン・ベックは「人は自分に起きた物事に対して特定の解釈をするために苦しむ」と述べています。

だから腹が立ったときは、事実そのものが原因ではなく、自分に起きた出来事について、みずからが与える意味合い、解釈で怒るのです。そしてそれは喜怒哀楽すべてにおいて。

出てくる感情の上手な整理が、私達を成長させて幸せな毎日と導いていきます。沸き起こる「喜怒哀楽」は大切、大切!!大事に検証してみましょうね。なくて七癖。ないように思えて思い込みは、沢山あります。話し方教室では、こういう整理が自分でできるようになっていきますよ。

楽しんでいますか?


毎日を、人生を楽しみたい。勿論 私もそう思っています。
スポーツ選手もよく言っていますよね。「楽しんできます!!」って。でもそれは当然ながら「あはは、あはは」と笑うようなことではないし、ノリノリで浮かれ騒いで、賑やかにすることでもない。

今、この時をひたすら生きることなのかなぁ。人生を充実させて、生きることを、じっくりと感じる・・・ことなのかもしれないですね。

毎日が全然、楽しくない。楽しめていない・・・というのは、細かくココロを分析したら理由が浮かんできそうですね。楽に生きることがポイントなのかしら。「楽」と「楽しい」う~~ん。

「自分と仲良く」「自分の気持ちに寄り添って」生きると、ふつふつと楽しい気持ちを感じられます。
そうね、一度、ココロも整理をしてみましょ♡

ゆっくりしてみよう


ゆっくりすることは得意ですか?昨日リラックスの話をしましたね。少し続きを・・・若かったころの私は、慌ただしい毎日を送っていたので、とにかくいつも突っ走った状態でした。恥ずかしながら、普通の速さで歩くこともなかった笑。人目があるところは小走り。ないところではダッシュ。仕事に、母のお世話に、(今でいえば介護になるのですね)自分の身の回りのことの時間もあるので、必然的に時間がない。勉強したい、勉強したい、時間が欲しい。1分1秒、行っているすべての時間を詰めていき、勉強の時間にあてていました。

その後、結婚してお腹に赤ちゃんが宿ります。それでも私は、いつもの小走り・・・。はっ!!私、もう走っちゃいけないわ!!!心底(大袈裟な言い方ですが、気分はこんな感じ)驚きました。そしてそれは、とても不思議な感覚でした笑

よく聞く話。ゆっくりしたい~と思っていても、いざとなるとゆっくりできない。馴染めない。違和感を感じてしまって落ち着かないということ。広々とした野原に連れてこられて、さぁ~自由に遊んで、と言われても遊べない。戸惑ってしまう。そんな感じ?なにをどうしたらよいのかわからない。そもそも私は、ゆっくりして何がしたかったのか???なんて考えたりして。ゆっくりの贅沢な時間は、瞬く間に退屈な時間へとかわってしまう。

時間がありすぎるのも、なさすぎるのも、結局ストレスになってしまうのですね。あぁ、残念・・・。欲しかったゆっくり豊かな時間を本当の意味で持つことはどうしたらよいのでしょうか。

立ち止まる。自分の気持ちを振り返る。不思議に思われるかもしれませんが、自分の本当の気持ちに気付いていない人は多いのです。

心理学的な話は置いておいて、もう一つ。行動をゆっくりする・・・というのもココロを開放させる手でなんですって。ゆっくりしたい、落ち着きたい、と思ったそのときに、ゆっくり動く。このときに、焦っている気持ちを変えよう、なんとかしょう・・・と思うとできないものです。ただ動作をゆっくりとする。そしてゆっくりの動作の中に自分を感じてみる。ちょっとこれを読むだけでは理解できないかもしれないが、やってみると想像以上に人の気分はゆったりするもの。時間と戦うことをお休みしてみませんか。

写真は、井の中の蛙大海を見る 笑

リラックスしましょ


あなたは、忙しい毎日の中、どのようにリラックスしていますか?「今日は、リラックスするぞと決めて有意義なリラックスをする」そんな話を昨日、聞きました。ふむふむ。

マインドフルネス・瞑想、散歩をしたり、コーヒーの香りに包まれる。友人と他愛も無い話をする・・・趣味に没頭する、等

多くの人が、座禅をするときも、必死に、頑張って、座禅に取り組もうとする。そんな話を聞いたことがあります。私たちって、とっても真面目な国民性ですね。「雑念がわかないように必死で取り組んでも、それでもやっぱり次々と雑念がわいてきてしまう。どうしたら良いですか?」

「そんなに必死に取り組まなくてもいい!雑念がわいてきたら、雑念を考えていたなぁと感じ、それをそっと横に置いて、今の自分に集中する。その作業を何度も繰り返したら良いだけだ。」なのだそうです。確かに・・・なんて興味深い。私も同じことをして、ダメだ、ダメだと自分にダメ出しして、同じことを聞いてしまいそう笑。

リラックスするのは案外難しいのかもしれない。というより、本当は簡単なことなのに難しく考えがえてるのね。リラックスするための方法をマスターするぞと頑張ったり、身構えたり。

努力して、頑張ったり、身構えることは、リラックスの反対の行為ですよね。緊張でストレス状態になってしまう。日常において、頑張ることが必要なこともあるのかもしれませんが、頑張ってリラックス・・・は変。そもそも「頑張る」の言葉に力が感じられるもの。お友達と「頑張って、頑張らないようにしなきゃね」なんて言って笑うこともあります。

私は今、リラックスしているのだろうか?とか、これでいいのかな?不安になってしまったり・・・なんて難しいのかしら。笑。

そう、あれこれと考えるのがいけないですね!寝るときだって「寝るぞ、寝るぞ、寝なきゃな、寝られるかな、今、眠たくなってきてるかな、さぁ、これからぐっすり寝るぞ」なんて意識したら笑、眠れなくなりそうです。

肩を回して、上げて下して、少しずつ力を抜いて。身体に意識をもっていきましょう♡リラックスを追い求めるのでなく、ココロの中で両手を広げて、静かにむかい入れる。

「身体を整える。ココロを見つめる。呼吸を意識する。」

単純な、考えなくてもできる作業も今は、スキルとして確立していて面白いですね。リラックスはココロにそよ風を吹かせられます。
あなたのリラックス法はどんな方法ですか?

人生の後半を考える


先日の話し方教室でのお題は、人生後半の多幸感。私達の幸福感について語るというものでした。

今回のレッスンのお題の元になる人は心理学者エリクソン。発達心理学の古典的な本をたくさん記した人です。とても興味深い、人生のその時々における課題について述べています。私にはそれらが、「大正解!!」と言いたいものばかりです。

さて、エリクソンは、人生のその時々においての課題をしっかり学び、習得することで、次の時代、人生が充実してくる(と言い切ると微妙に雰囲気が変わりますが)と言っています。壮年期から老年期へ、その様々な事柄について、どう思うのか話し合いました。

後半は、自分の人生の総括をすることが課題になります。長い人生、これでよかったのか(人によっては、なんだったのか)そして、この世になにか残せたのか。意味を見だそうとするのです。この課題の取り組みがうまくいかないと苦しい後半が続くのです。

そして幸福論について話し合いました。例えば・・・単純にだんだんと人と比較されることが減る。退職などしたら、面倒に思っていた人付き合いも減って気も楽になるし、なにより他の人と自分との能力や境遇の差を、目の当たりにする機会が減り、マイペースに生きられるようになる。比較されることはなかなかのストレスだものね。

他に・・・引退などによって一時的に社会的な居場所を失っても、時間もできているし精神的なゆとりもできるころなので、趣味の集まりなどで新たな人間関係を作ることができる。

様々な経験をしたことで、現実を受け入れやすくなっていて、自分にあった目標を立てられる。そしてじっくりと向き合うことができるようになる。

それまでに経験した事柄を次の世代に引き継ぐ充実感を味わうことができる。

人生の様々な「終わり」をたくさん見ることで価値観がかわり、目の前の今に、ココロが揺さぶられるようになる。いつまでも健康ではないし、体力があるわけでないし、友達や家族がいるわけでない。そんな経験が私達の意識を変えて、周りの人との絆に改めて感謝したり、季節のうつろいにココロを打たれる。生まれたこと、懸命に生きてきたこと、幸せを感じるようになる。

他にもたくさんあって、紹介しながら、まさに今、その気持ちを味わっているというエピソードや、感じること、など一人一人の貴重な言葉をいただきました。人生の先輩たちの言葉はいつも私を感動させるのです。

あなたも話し方教室にこられませんか。

知性を磨こう

もうすぐ私は50歳になります。髪もお肌も、目も体力も順調にその年代らしくいる。身体の痛いところとか、弱いところとかあって・・・少し残念だけど、そこも私らしく思えて自分の身体が愛おしい。

一日が過ぎる。あなたは今日、なにを得ましたか?
宇多田ヒカルさんが、長いお休みをとる前に「人間活動がしたい」と言ったが(なんてうまいこと言うのだろうと思ったものだ)私たちにとっての、その貴重な人間活動の一日。

知性を磨く。日々自分の仕事(すべての活動のことね)を気持ちよく行い、学ぶ。その中で課題があれば、どん欲に知識を求め、精査し、自分のやり方に沿わせていく←これってとても大事だと思う。学ぶだけでは勿体ない、知識は生かしてこそ!!!生かすとさらに次の真理が見つかるしね。そして、どこからでも誰からでも学ぶ!!!知識も、さらには人格も、地道で長期的なプロセスによってのみ形作られるのだ。

それにね、人は成長したいという欲求があるのです。だからずっと成長を感じられないのは、ストレスなことなのです。日々、更新。悩みごとだって、人生の必修科目、人生の勉強です。さて、今日は何を言っているのでしょうか笑。お許しあれ。

さらにインプットしたらアウトプットの場所も大事。話し方教室でお待ちしております。

頑張る

ここのところジムのプールで気持ちよく泳いでいます。大人のスポーツは本当に楽しい、気持ちいい。自分の気持ちのままに身体を動かすのはなんて素敵なことだろう。長い間、病院に通った喘息もすごくよくなったのも驚きです。

気持ちよく泳ぐこともモットーにしていますから、いつも無理はしないのですが昨夜、一緒に泳ぎましょう~と声をかけられました。私から見てプロのような泳ぎをされている方ですから、一度、いや、何度かお断りをしたのですが、ゆっくりと泳ぎましょう~と言われて、なんとか首を縦に。私が泳ぎ始めた後を追って、その方が泳ぎ始めました。

それから一人では、とっくにひと休憩している距離を超えて泳いだのです。
あぁ、気持ちいい。水泳はただ一人で泳ぐ、孤独なものだと思っていたけれど、こうしてだれかと泳ぐと楽しい。頑張らない私が、限界に近いところまで頑張って、頑張る心地良さを感じた。いつも、ほど良いところで無理せず、やめるのが私は好きなのです。

「頑張る」という言葉は、他の国の言葉に訳すのはとても難しい。
日本的な思想や文化、歴史があっての言葉、なんですよね。深い精神性を含む「頑張る」。日本人であるが故に私は、興味深いことで、何度か、レッスンでみんなで語り合いました。

頑張ること、あなたは好きですか?頑張る・・・向こう側には、思ってもみない意味合いが、実はたくさんあるのです。ご意見、お待ちしております!!